1ミリの運 -強運の波を掴むヒント-

世界を巻き込んだ四年に一度のお祭り騒ぎが終わった。
決勝戦は歴史に残る素晴らしい試合だった。
日本はベスト16で敗退したが、戦い方は目を見張る物があった。中でもラインを割ったかどうかが物議を醸しだすアシストでゴールを決めたシーンは印象的だった。


今回から導入されたビデオ判定の仕組みがなければ無効となってもおかしくない状況だ。
結果は、玉の縁がギリギリラインに重なっていたので有効ということだ。

その重なり具合は僅か1ミリ!

必死のスライディングでアシストした選手が強運の持ち主だったのだと思う。勝負の世界においては実力もさることながら、その時々の運が勝敗を決めることも多々ある。どれだけ運を持っているか?上昇運の波に乗れているか?

人生の運も上昇と下降の連続。

どん底の凪状態

子供の頃からクジ運には恵まれなかった。駄菓子屋の10円ガムを箱買いしても当たったためしがない。

30代半ば、一念発起して始めたばかりの商売が開始早々頓挫し、借金の返済や、これから何して食べていこうかという思いが重くのしかかり、鬱々とした精神状態の中、もがけばもがくほど空回りする悪循環の日々が続いていた。

まるでバミューダ・トライアングルに迷い込んでしまった船が難破した状況のようだ(ナンノコッチャ)。

そんなある日、親交のあった飲食店グループの社長からアドバイスを頂いた。

心が落ち込んでいる時は無理してもがいても空回りするだけ

jinjin
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、、、

まずはポジティブな気持ちになること

jinjin
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、、、、、、

そのためには何らかの方法で気分をハリハリ、ドキドキさせることが大切だよ。

jinjin
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、、、、、、、、、

ハリハリ、ドキドキという高揚感を保つことで、笑顔が生まれ、それまで凪いでいた状態から少しずつさざ波が起こり、やがて大きな波がやってくるきっかけになるのだと言う。

jinjin
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どうすればさざ波が起こるんですか?

繁華街の居酒屋で社長の言ったことはたった一言だった。

パチンコ行こう!!!

直ちに近くのパチンコ店へ向かった。

当時は空前のパチンコブームで店内は鉄火場だった。咥えタバコの老若男女が目を血走らせ般若の表情で盤面を睨んでいる。霧の立ち込める店内で空席をなんとか見つけ、二人並んで一緒に打ち始めたが、財布から出した貴重な1,000円札はわずか数秒で溶けてしまった。

財布の残りは1,000円札一枚、これを使うと帰りの電車賃が無くなる。せっかくアドバイスしていただいた手前やめるわけにもいかない。

スッてしまったら家まで歩いて帰ろう!

覚悟を決め、なけなしの千円札を台に投入した。

あっという間に玉が吸い込まれウォーキング確定か?

と思った時、

最後の一玉で大当たりを引いた。

台が賑やかなファンファーレミュージックを鳴らしている。

大当たり中は玉を打ち続けなければ出玉が増えないのだが持ち玉は使い果たしている。気持ちが焦っていると、隣で打っていた社長が無言で玉を分けてくれた(その視線はチョットだけ、嫉妬の色が浮かんでいた)。その後、大当たりが数回連チャンし、気がつけば隣で打っていた社長も当たっていたので、再び居酒屋に戻り二人で祝杯を上げた。

学生時代、小遣い稼ぎでパチンコをやっていたことはあるが、卒業と同時に遠ざかっていたので、久々にハリハリした気分になっていた。

終電で帰宅し玄関を開けてくれた妻に、笑顔で「ただいま」と言うことができた。

久々の笑顔だった。

凪からさざ波へ

それから数ヶ月間は失業状態だったがパチンコで生活していた。自分なりに決めたマイルールを徹底することで収支は毎回プラスだった。換金後の端玉をお菓子に交換して持って帰る日々を続けていたら、少しずつ日常生活に笑顔の回数が増えていった。


すると、妻もパチンコに興味を示しだした。
ビビリーな妻はギャンブル類には一切興味を示さなかったが、お菓子に釣られて一緒にパチンコ屋に行くようになった。妻はビギナーズラックの頃を過ぎても連日大当たりを引き続けている。しかもワンコインで大当たりを引き、その後連チャンしてしまうのだ。

妻曰く、千円以上は勿体なくて出せないのだと言う。
妻は昔からクジ運が強かったが、ここへ来てギャンブル運も開花したようだ。それ以来、家の近所や遊びに行った先々で二人して楽しみながら打っていた。

とは言え、勝負の世界なので結果はシビアに受け止める。
二人が勝てば晩御飯は焼肉屋さんで上カルビ。負ければコンビニのカップラーメン。
勝負の世界は厳しかったが、カップラーメンを啜ることはほとんどなかった。

始業の合図は軍艦マーチ

そんなある日、新しい仕事の話が舞い込んできた。

日本各地を出張訪問し顧客の要望に対応する内容で、全て一人で対応するということだ。
仕事は夕方までで終わり、その後はフリーになるのだが、出張先が田舎だとやることもなく暇を持て余していた。そこで目に止まったのがパチンコ屋だ。
日本全国どんな僻地でもパチンコ屋は必ずある。しかも、当時はパチンコ業界空前のヒット作が国内を席巻しており、どの店も必ず同じ機種が稼働していた。

出張先での過ごし方が決まった。

いわゆる旅打ちというスタイルのパチンコの楽しみ方だが、昼間は本業に精を出し、夜はパチンコで稼ぐというダブルワーク体制が整った。夕方までに本業を終え、夕食を済ませたあとの一服ついでに軍艦マーチを口ずさみながら打ち始めると、直ぐに大当たりを引くことができた。

日本全国、どこへ行っても勝ちまくっていた。

五千円ほどつぎ込んだら店を出るときには毎回10倍程度のリターンで戻ってくるので、出張から帰るたびに財布は膨らみを増していった。もちろん負ける時もあったが、夕食後から打ち始めるので閉店まで粘っても二~三時間の勝負。大きな損失にはならなかった。

勝率は8割程度だったと思う。

恐ろしいほどの勝率だが、この時期は不思議と店に入った時点で負ける気がしなかった。とは言え、当たりを引くまではキリキリと胃が痛んだりすることもあるが、マイルールを徹底することで、いわゆる勝ちパターンの波に乗れていたのだと思う。

新しい波

そんな旅打ちの日々を二~三年続けた頃、気がつけば借金は全て返済し終わっていた。額にして数百万といったところだろうか。当初は車中泊やネカフェで節約していたが、この頃には部屋をアップグレードしたり、ご当地高級グルメも財布を気にせず食べられるようになっていた。

一方、出張先での休日をどう過ごすか?という問題が残っていた。
休日の朝からパチンコをするのはマイルールに反するので、街散策などをして過ごしていたが、出張先によってはまるまる数日間休みを取れることもあった。さすがに街散策だけだと飽きてしまう。出張先での休日をどう過ごすかは大きな問題だった。

その答えは、登山。

当時、この仕事を一緒に始めた同僚が登山を趣味にしており、それに習い自分も登山を始めることにした。登山用具は一通り揃えようと思ったらそれなりの額になるが、必要な服装や道具類の費用は旅先のパチンコ屋でその都度で捻出できた。

縦走用の登山靴はドル箱5箱、厳冬期の寝袋はドル箱10個、etc、、、

この頃はお金の単位が【円】ではなく【ドル箱】※だった。
※一度の大当たりで出玉がドル箱という容器に一杯分貯まるのが相場。換金レートは店によるが一箱五千円程度。

それから数年間、昼間は本業に精を出し夜はパチンコのダブルワーク、休日は登山で汗を流すという充実した日々を過ごしていった。

数年前の失業時に比べると精神状態は雲泥の差になっていた。鬱々とした状態からハリハリした気持ちをキッカケに、充実した日々を過ごせるようになり、抱えていた心の問題もいつしか解決していた。

改めて当時の社長の一言が胸に染みた。

金持ちオジサン
金持ちオジサン

笑う門には福来たる!

巨大な波

そんな旅打ちの日々に大きな転機が訪れた。

ある日、出張から戻り久々の休日を自宅でのんびり過ごしていた。駅前でランチをした後、一服がてらパチンコ屋に入った。この頃になると勝ち負けにはこだわらなくなっていて(というか、確実に稼げる手段になっていた)、打ち始め早々、数回転で大当たりを引き当てた。いわゆる、お座り一発というやつだ(打ち始めの一玉目で当たりを引く、本当のお座り一発も何度も経験済み)。

10連チャン程度は普段から当たっていたので初めは淡々と台に向かっていたが、20連チャンは滅多になかった。いつものマイルールで時短終了後に上皿の玉を使い切って席を立つつもりだったが、上皿から玉が無くなる頃、再び当たってしまった。

ドル箱が30箱を過ぎる頃から周りに人だかりができ始め、店員も後ろで待機するようになった。なにしろ数回転で当たりを引いてしまうので、間髪入れずにドル箱に出玉を入れなければ玉が床一面に溢れかえってしまう。そのドル箱も背後で倒れそうなくらいに高く積まれてきたので、更に大きな容量の千両箱(初めて体験した!)を店の奥から出してきてせっせと移し替えている。

ザザーッという玉を移す大きな波音がいつまでも続いた。

周りの人だかりは羨望の眼差しだったが、正直、飽きていた。

勝負しているというより、店の広告塔になった気分だった。

それでも着実に大当たりが続き、最終的に終了した時点で大当たりの数字は52回を示していた。店員によると店の大当たり記録を更新したそうだ。

これほどの大きな波に乗ることができたのに、店を後にしても不思議と高揚感はなかった。
焼肉屋で妻は特上カルビを頬張り大いにはしゃいでいたが、その笑顔を眺めながら、これでパチンコの波とはお別れかも?と内心感じていた。

事実、それからは店に入り台に座っても、当たるという感覚が湧いてこないのだ。

実際、当たらなくなった。

どうやら潮時のようだ。

気持ちがマイナスに傾くと、不思議と当たらなくなり、なによりもパチンコ自体に興味を示さなくなってきた。以前は出張先で時間を見つけてはパチンコ屋に入っていたが、この頃からはウォーキングやジョギングなどで定期的に汗を流す方にシフトしてきた。

パチンコで勝つことの高揚感より、運動して汗を流す爽快感のほうが勝ってきた感じだ。

大波は去った

コロナ禍の現在、決して懐具合に余裕があるわけではない。それでも、あれほど稼いでいたパチンコには全く興味を示さなくなった。

社長の一言がきっかけで、凪いでいた心に少しずつ良い波が沸き起こり、ポジティブな状況をキープできるようになったことで、その後の大きな波に乗ることができ人生の転換点を迎えることができた。

自分の場合はパチンコがきっかけとなったが、今となってはパチンコブームも去ってしまったのでパチンコで勝つためのマイルールは公開する意味もないので、あえて省略。

どんなきっかけを掴むかは人それぞれ。

出来ることからポジティブな気持ちで必死に取り組んでいれば、いつか転機がきっと訪れる。

上昇運に繋がりそうな波に上手く乗り、大きな波が去ったら新しい波がくるまで次に備える。

人生を好転させる一つのヒント。

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