お盆に仔犬をお迎えしてからすっかり忘れていたが、血統書が送られてきた。
純血種? or 雑種?
もし、ワンコを飼うとなったら、どんなワンコをお迎えしたいか?
過去に妻と話し合ったときは色々な候補が挙がり、妻は大きい犬を飼ってみたいという希望だった。ゴールデンレトリーバーがお気に入りのようで、レトの人懐っこい性格を考えれば気持ちはよく分かる。
一方、自分はといえば、特に犬種は気にしていなかった。以前飼っていたワンコは雑種だったので、もし今度飼うとしたらレトリーバーもいいかなーと思ったりもしたが、お迎えするにあたっての判断基準は血統ではなく、ワンコ自身の瞳の輝きだ。
自分の中では雑種だろうと純血種だろうと、縁があればそれでよし。雑種には雑種の良さがあるし、純血種にも然り。いずれにしても見つめ合ったときにピンと来るかどうかだ。そんな気持ちでワンコとの出会いの場を探していたが、今と昔では出会いの場所は大きく様変わりしたようだ。
ペットブームが起こる以前
昭和の時代、ワンコを飼いたいと思ったら、ご近所さんや、知り合いが飼っているワンコに子どもが生まれたら貰ってくる。そんな時代だった。
そもそもペットショップ自体がほとんど無く、ブリーダーも郊外や田舎で純血種を育てていたのだろうが、ネットもない時代、ブリーダーの場所さえ調べようもなく、都心部であっても野良犬がふらついていた時代だ。
以前飼っていたワンコの母犬は当時住んでいた家の近所のお寺で飼われていた。父犬はどこかで飼われていたワンコが放し飼い状態で、母犬が散歩中にどこからともなく現れ、その瞬間一目惚れしたようだ。
それ以来、いつのまにかお寺の2メートル以上ある高い塀を飛び越えて、母犬の元へ毎日遊びに来るようになっていた。ひとしきり母犬と戯れたあとは、夕方になると再び塀を飛び越えてどこかの家へ帰っていく。
そんな状態が暫く続いたあと、母犬から元気な仔犬達が産声をあげ、父犬が少し離れたところから母子たちの姿を優しい眼差しで見つめていた。
母犬は雑種で、父犬は大型の牧羊犬のようだったが、詳しいことはわからない。父犬は日中にどこからともなく遊びに来るだけで、父犬の飼い主は結局わからずじまいだった。
どこの馬の骨かわからない父犬だったが、ワンコ同士はとても仲が良かった。どんな犬種から産まれたにせよ、ワンコの家族が元気に過ごしていればそれでいい。血統がどうのこうのというのは愛好家だけの世界だ。
そんな両親から生まれた仔犬達は、それぞれ個性的な色合いで性格も様々だった。すぐにでもお迎えしたかったが、母乳を通して必要な栄養素や抗体を貰い、ある程度の抵抗力を身につけるまではお預けということだったので、時間を見つけては仔犬達に会いに行っていた。
まだ目が開かない仔犬達を見に行き、母乳を美味しそうに飲み、チョロチョロと歩き回っている姿を楽しみながら、日々成長していく姿をじっくりと眺めることができた。
飼い主からは好きな仔犬をあげるよと言われたので、生後2ヶ月を待たずに一番元気な男の仔を譲り受けた(今は生後2ヶ月を過ぎないと譲渡できない仕組みが確立したが、当時はゆるい時代だったのだ)。
以降、どんなワンコに成長してくれるのか?父犬に似れば大型の牧羊犬タイプで冒険好きなワンコになるだろうし、母犬に似ればスタイルの良い優しいワンコになってくれるだろう。
雑種にはどんな姿形のワンコに成長していくのか?という楽しみがある。
こうしてみると、当時はペットを店で買うという感覚ではなく、命を譲り受けるということを身近に実感できる時代だった。今ほど情報に溢れていなかったので、お迎えしたあとはそれぞれの家庭で試行錯誤しながら飼われていた。
ドッグフードなども二~三種類しか販売されておらず、その家庭で独自の食事を与えていた。
ワンコは玉ねぎやネギ類は良くないという程度しか情報がなかったが、人間の残飯にフードを少し混ぜるだけで美味そうに食べていた。狂犬病ワクチンだけは接種したが、混合ワクチンなどは結局打たなかった。それでも一度も病気になることもなく、元気に走り回っていた。
今の時代からすると信じられないような状況だが、振り返ってみると、当時はそんな時代だったのだ。
血統書の意義
今回お迎えしたワンコは、大手ペットショップで偶然見つけたワンコだ。ペットショップは人気の犬種が時代によって様々に入れ替わるが、最近はMIX種なるものが人気のようだ。要は雑種になるのだが、横文字表記のほうが店にとって都合がいいのだろう。
組み合わせによっては体格差などの無理な交配で生まれた結果、生まれながらに問題を抱えている仔犬も多いと聞く。
いろいろ取り沙汰されている近年のペット業界の事情なのだろうが、もともと大昔から人間の都合で品種改良されてきたペットの歴史からすると、歴史の中のほんの1ページのような気がする。あまりにも不自然な交配は自然淘汰されていくことだろう。
豆柴も正式な団体からは特定犬種としての認定はされておらず、柴犬に分類されている。
もともと柴犬のなかでも小柄な個体を何世代にわたり掛け合わせた結果、柴犬よりも一回り小さい個体が誕生したというわけだ。なので、成長してみると柴犬並みに大きく育ってしまう豆柴も多いようで、こればかりは育ててみないとわからない。
中には大きく育ってほしくないという願いから、餌を少ししか与えないブリーダーやショップ、飼い主もいるようだが、そんなのは虐待以外の何物でもない。
そのワンコにとって必要な量をモリモリと元気に食べ、たくさん運動して健やかに育ってくれることこそが最優先に考えなければならないことだ。
そんな思いで日々ワンコと向き合っていると、1枚の血統書が届いた。
お迎えしたときの各種書類の中には入っていなかったが、よくよく読んでみると、後日送られてくることが記されていた。証明書の発行元は、昔から存在する組織が発行した証明書ではなく、豆柴を認定させたいNPO法人が発行している証書のようだ。
もともと血統を意識するどころか、できるだけ雑多な遺伝子が混ざっているほうが不確定の未来を楽しめると思っていたので、特に興味を惹かなかったが、家系図という視点で改めて見てみると、それなりに面白い。
1枚の証書に父、母から何頭生まれたか、そして過去を遡り祖父、祖母、曽祖父、曾祖母まで体毛の色と体高が記されている。
記録によると、同胎記録にはオス0、メス4とあるので女の子の四つ子だったようだ。先祖には赤(茶)、黒、白の個体が存在し、体高は30センチ前後のワンコが大半だ。
この記録から読み解く限り、大きくなりそうな気配は無さそうだ。
体毛が一般的な赤ではなく、全身が微妙なグラデーションなのもご先祖様から受け継いだ色合いが反映しているのだろう。
全身が同系色ではなく、何種類も混じっているような個体は胡麻芝と呼ばれており、現在の繁殖技術では調整不可能で偶然の産物らしい。年間で全体の数%しか生まれないらしく、大変珍しい色合いなのだそうな。
ショップでは瞳の輝きだけでお迎えしようと決めたので、そんな事情など全く知らなかった。
そもそも仔犬は成長するに従い体毛の色や質が変わってくるので、この先、普通の芝色に変わっていくのかもしれない。各部位が繊細なグラデーションで覆われ、光の当たり具合で微妙に色合いが変わる体毛がとても気に入っているので、できれば、個性的な胡麻色を維持してくれるといいな~と密かに願っている。
今回送られてきた血統証書には犬名がすでに決まっていたが、これはブリーダーが決めた名前が記されているようだ。希望すれば犬名を変更して登録し直すことができるらしい。さて、どうしよう。
命の系譜
血統書というより、家系図という位置づけで系譜を眺めていると、ワンコの過去について色々な事柄がわかって、気がつくと自分自身の家系に想いを馳せていた。
自分の家系を振り返ってみると、母方はそれなりに遡ることができるが、父方は全く不明だ。
自分が1歳を過ぎた頃、ある日突然蒸発してしまった父の記憶は全く無い。それでも、成長するに従って父親の性格を凄く受け継いでいると母親や親戚連中からよく言われる。
父のことを母が話してくれることはほとんど無い。それでも数少ない事実として、自分が生まれた頃に、違う女性との間に子どもがいることが判明した。
当時、稼いできた金が何故か少ないことが判明し、問い詰めたら前妻の元へ仕送りしていたそうだ。母親と一緒になる前に前妻との間にはすでに子供がいて、自分より五歳ほど年上の息子がいるとのことだった。そんな事情が判明してからすぐに蒸発してしまった。
父は前妻との間に子どもがいるにも関わらず、その家を飛び出し自分の母親と一緒になったのだ。そして産まれた自分は一人っ子ではなく、腹違いの兄がいることがわかった。自分が幼少期の頃に前妻から送られてきた写真を見せてもらったが、自分とよく似た男の子が写っていた。
なんともまぁ、自分勝手な父親なのだろうと子供ながらに思っていたが、自分が成人した頃、親戚の叔父さんから父が蒸発した理由を聞く機会があった。
当時、やんごとなき事情が発生し、どうしても母子の元を離れなければならない大人の事情があったようだが、その後の母親の苦労を間近に見ている立場としては、それでも父親を許すことはできなかった。
そんな父親の消息については、譲り受けたワンコを飼いだした頃に、突然届いたエアメールでその後の人生が判明した。
封筒には、自分の不徳を詫びる手紙とともに、年老いた父親といっしょに写っている二人の男の子の写真が同封されていた。手紙の文面にはお前の弟達だと記されていた!
自分たち母子の元を突然去った父の消息については、風の便りによると直ぐに異国の地に渡り、彼の地で足取りが途絶え行方不明となっていた。いつの日か再開することができるかも、と願っていたこちらの心配を他所に、その後、異国の地で女性と結婚し二人の男の子を授かったようだ。
文面の最後には、お前に会いたい、弟たちの面倒を見てやってくれまいか?と綴られていたが、その文面を読んだとき、腹の底から猛然と怒りが込み上げてきた。蒸発した事情はわかっていたので、世の中には仕方のないこと、不条理なことがあることは理解していたが、それでも、
そんな戯言を言う前に、まずは母親の前で土下座して詫びろ!
弟たちの面倒みるのはそれからだ!
野良犬でさえ子供ができたら必死で育てているのに、産ませたあとにトンズラこくのは野良犬以下だ!
そんな思いを腹の底でタップリと吐いたあと、何度も何度も手紙を読み返しては写真を眺め、心の底では無事でいてくれたことに安堵し、いつまでも涙が止まらなかった。
結局、父に返信することはしなかった。年齢的にも高齢だったので、それが最初で最後の手紙となった。
父は三人の女性との間に男の子をもうけたことになる。父親としては最低だとしても、その時代を必死に生きた男の人生としては、それもありなのだろう。
父の人生に思いを馳せ自分の人生を重ねてみると、今まではフラフラと彷徨っていたが、可愛いワンコが家族の一員となったことで気持ちを切り替える時が来たのかもしれない。
そんなことを思いながらワンコの家系図を眺めていると、当のワンコはいつのまにか横で寝息を立てていた。
その横顔は優しく微笑んでいた。
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