四年に一度の祭典が終わった。
競技もさることながら、今回のオリンピックで特に楽しめたのは開会式だった。パリで二度目となる今回の開会式は、史上初の試みとしてメインスタジアムを抜け出し、パリの街全体を使ったイベントとなった。流石は芸術の都を自負するだけあって、その圧倒的な内容に競技以上に感動してしまった。
オリンピックの魅力
遡ること1世紀前、世の中の平和を願って開催されたオリンピックは、時の情勢に左右されながらも世界中の人々が集い、競い、楽しむ世界最大のイベントとなった。
回を重ねるごとに参加人数が増え、健常者ではない人々にも門戸が開放され懐がどんどん深くなっていく。競技の種類も裾野が広がり、細かなルールを知らなくとも観ているだけで熱くなることもしばしばだ。
自分がオリンピックで楽しみにしているのは陸上競技だが、それ以上にワクワクするのが、毎回趣向を凝らせた開会式が一番の楽しみだ。その国の歴史や文化、芸術に対する奥深さを知ることができるからだ。
毎回、開催国が趣向を凝らした演出で開会式を行うが、その国の歴史や伝統、文化などをダンスや様々なパフォーマンスを取り入れ最先端の技術を駆使して楽しませてくれる。選手の入場時は世界中の音楽をBGMに参加選手の衣装が民族衣装だったり最先端のデザインだったりするので、観ているだけでも、そのリズムを聞いているだけでもワクワクしてくる。
そんなオリンピックの開会式だが、前回まではメイン競技場で行われてきた。今回は初の試みとして、競技場を飛び出しパリの街全体を舞台に壮大に繰り広げられた。現地で実際に観ている人達にとっては、自分の周りの一部分しかわからないので不満も出たようだが、世界中の人々にとってはテレビを通して観ることになるので、その演出を存分に楽しめることになった。
その内容はパリの地形と街並み、歴史を上手く取り入れ、選手入場はセーヌ川をボートで遡上するという斬新な試みだった。
参加選手を乗せた大小さまざまな形の遊覧船や小型のボートが川を進み、交差する橋の上や川辺の建物を利用して歌や踊りを繰り広げる。そんな街並みの屋根上には怪盗ルパンを思わせるような謎の人物が身軽な身のこなしで縦横無尽に走り回り、ジャンヌ・ダルクを思わせる騎士が白馬に跨り優雅に闊歩してくる、、、
一部の演出はその過激さから物議を醸したが、そこは芸術の街を自負するにふさわしい大胆な内容で、誰もが思いつくような、モノマネではない、オリジナリティこそが芸術なのだ!というアーティストの矜持が垣間見えた内容だった。
そんな祭典としてのオリンピック、提唱者の男爵はそのアイデアをどこから拝借したのだろう、、、
人類の現在地点
遡ること2千年ほど昔、ローマ時代の競技場では様々な競技が日々繰り広げられ、現代よりも遥かに血生臭く、原始的な闘技にローマの市民は大いに熱狂していたようだ。
現代のオリンピックも一部の競技はこの時代から行われている競技もあるようだが、当時と現代の根本的に違うところは、出場する競技者は市民ではなく、奴隷だったということだ。人間が同じ人間を支配し、物同然に扱われていた奴隷が、所有者のために見世物として競技場に立ち、命がけで闘い、散っていった。
支配する者、支配される者、そんな関係が数千年も続いてきたのが人類の歴史だ。そんな関係性に【否!】と声を上げ、支配者を断罪し、市民が自らの権利を獲得したのが1789年、今からほんの数百年前にパリで起こった出来事だった。
このときの出来事が人類の歴史に大きな転換点を与えるきっかけとなり、その後の人類は誰かの支配下で生かされるのではなく、自分たちで話し合って多数決で物事を決めていくという仕組みを取り入れるようになった。
多くの人達の最大公約数を元に物事を決めていくのは理にかなっているように見えるが、それも行き着くところは多数派が少数派を飲み込んでしまい、最終的には一方に偏ってしまう。
先の大戦時には多数派の人達により少数派の人々が迫害を受け、塗炭の苦しみを味わっている。
とはいえ、それまでのピラミッドのようながんじがらめの支配者と支配される者という関係からすると、大きな進歩だろう。
聖火の行進
そんな仕組みが産声をあげた街での二度目のオリンピック。
聖火リレーのバトンも従来は一人が次の走者に聖火を繋ぐやり方だったが、今回は最終エリアに来ると、一人、また一人と聖火を掲げる人と共に行進する人が増え、最後は皆で支え合いながらゆっくりと歩きながら聖火台へと向かっていった。その様は人種や態様からくる差別や偏見を乗り越えようとする強い意志を表したような行進だった。
そんな人々の行進から聖火を受け取った最終走者の男女が公園にやってくると、大きな丸い球体のオブジェにたどり着いた。どう見ても気球のようだが、果たして、今回の聖火台は気球なのか?
その球体の底に聖火をかざすと穏やかな炎が立ち上り、静かに、ゆっくりと球体が浮かび上がっていく!
百年ほど前、初めて気球が発明され、上空からパリの街並みを楽しんだのがこの公園だった。今回は大会のシンボルとして聖火の炎が紛れもなくパリの夜空にフワフワと漂い、雨に煙るパリの街並みを優しく照らしている。
たゆたえども沈まず
パリ市の標語となっているこの言葉、原語はラテン語で記されており、【Fluctuat nec mergitur】昔の船乗りたちが合言葉として使っていたそうな。
「たとえどんなに波風に揺られようとも、沈んでしまうことはない。沈ませてはならない。沈みさえしなければ、また進んでいくことができる。」という船乗りの理念が込められており、その想いは確実に受け継がれ、今の御時世を的確に反映している標語だ。
地球規模の平和の祭典であっても不参加の国は相変わらず存在し、地球の何処かでは戦禍が止むことはなく、せめて開催期間の間くらいは停戦してほしかったが、その願いも虚しく憎しみの連鎖は止むことはない。そんな渦中の人々の胸にも間違いなく平和を求めているはずなのに、解決の糸口は未だ見つからない。
それでも世界中の多くの人々が幸せを求めている限り、その想いは決して消えることはなく、たとえ時間がかかろうとも、諦めない限り宇宙船地球号は決して沈まず進んでいくだろう。今はまだまだ道半ば、十年、二十年では変わらなくとも、100年、200年先はどうだ? 千年先の未来はどんな地球になっている?
そんな想いを抱きながらフワフワと浮かぶ聖火を見つめていると、開会式を締めくくる音楽が流れてきた。
愛の讃歌
美しいストリングスの調べに乗せ、雨に煙るエッフェル塔の展望台に咲く一輪の白い華。
地球を代表する歌姫、セリーヌ・ディオンの歌声が力強く愛の歌を奏でる。
エディット・ピアフの代表曲として世界中で歌い継がれるこの歌は、日本語訳の歌詞では甘い愛の歌として大ヒットしたが、オリジナルのフランス語だと単に甘い言葉を並べただけではなく、愛とは闘って勝ち取るものだという力強いメッセージが溢れている歌詞だ。
そんな力強い愛のメッセージを歌うセリーヌの姿を観ていると、数年前、大病を患い、歌手生命はおろか、生命さえも絶たれるのでは?と危惧されていたことが信じられない。当時の闘病姿をドキュメンタリーで観たことのある人ならば、奇跡の復活を遂げ、この晴れ舞台で歌う姿に涙せずにはいられないだろう。
頂点に君臨する歌姫が突然の病に倒れ、スポットライトの当たらないプライベートは愚か、その闘病姿まで、ありのままの自分をさらけ出した内容だったが、この人は本当に自分に正直に、一生懸命生きてきたのだと思わずにはいられない。
気がつけば、いつの間にか目頭が熱くなっていた。
因みに、お迎えしたワンコの名前は豆柴ということもあり、当初は和名の候補を幾つか考えていたが、改めてセリーヌの歌う愛の讃歌をYouTubeで観ていたらピッタリのフレーズがあったので、そこから命名することにした。
彼女のように美しく、どんな困難にも打ち勝つ意思の強さを併せ持った元気なワンコに育ってくれますように、、、
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