翼のアリア

出張・旅

 今年の夏は60連勤することになり無休で仕事をこなしてきた。その甲斐あって目標はクリアし、更に延長が決まり10月までお世話になることになった。

 トータル90連勤!!!

 業務内容は本業を濃縮したような内容で、毎日、各地へ飛び回っていた。本業は一箇所に数日から1ヶ月ほど滞在して業務を行うが、今回は、例えは、朝一で北海道に飛び、午後は九州、夕方に四国、翌日は東北という感じで、息つく暇もないほど移動の連続だった。

 コロナ前までは比較的余裕があった交通機関も、最近はインバウンド効果の影響で激混みとなり、新幹線でさえ遅延は当たり前、飛行機も定時運行が珍しいくらい遅れて当たり前になった。

 出発ゲートも激混みで、余裕を持って空港に着いてもギリギリでセキュリティーゲートを通過するような有り様だ。

 ある時は、大分で最終便に乗ろうとレンタカーをかっ飛ばし、出発ギリギリの時刻に空港窓口に着いた段階で、まさかの欠航、大雨の中で再びレンタカーを借り、別府駅まで戻る間に陸路のダイヤを調べ、特急に飛び乗り新幹線を乗り継ぎ日付の変わる頃に帰宅。

 そんな慌ただしい日々の中で、唯一ホッとできるのは移動中の車内だ。

 新幹線や飛行機、特急、バスなどを乗り継ぎ各地へ出向いていると、移動中は様々な音楽が脳裏をよぎっていく。

 中でも、飛行機の移動の際は、ピッタリの曲がいつも脳裏で響いている。

 最終搭乗案内を聞き流しながら慌ただしく機内に滑り込み、窓際の席に腰を落ち着けシートベルトを締めると同時に扉が閉まる。

 CAが離陸へ向け忙しく歩き回り異常がないことを確認する頃、いよいよジェットエンジンの回転数が上がり、ゆっくりとゲートを離れる。

 ヨタヨタと歩くペリカンのように滑走路の端まで進むあいだ、脳裏に浮かぶのはこの曲だ。

 機内の慌ただしさも一段落し、静かに離陸ポイントまで向かう間は穏やかなアリアでホッと一息。

 やがて滑走路の端まで来るとノーズを大きく切返し、機内に離陸を知らせるチャイム音が響くのと同時にアリアが静かに終わる。

 離陸を告げるチャイム音の後、ジェットエンジンがフルスロットルで唸り声を上げるのと同時に第一変奏曲が元気に始まり、滑走路をグングンと疾走する。

 滑走路の段差をリズミカルに乗り越え、やがて離陸可能速度に達すると、段差を乗り越える車輪のノイズも消え、ふわっとした浮遊感のなか重力に逆らい続けながら上昇を開始する。

 眼下の巨大な空港ターミナルや海を行き交うタンカーがミニチュアのような景色に変わり、力強いジェットエンジンの唸り声を響かせ更に上昇を続ける。

 やがて雲に突入し機体がガタガタと揺れ始め一瞬緊張するが、雲を抜けると一気に紺碧の空が迎えてくれる。

 曲は第一変奏曲から第二変奏曲へ。

 右肩上がりの傾きから機体が水平になる頃、シートベルト着用サインが消えると、曲は第三変奏曲。

 離陸の緊張感から解放され客室に安堵感が漂い始める。次々に流れる心地よい変奏曲に身を任せていると、いつのまにかウツラウツラと船を漕ぎ出している。

 BACHが作曲したこの曲は、静かで穏やかなアリアで曲が始まり、一転してアリアをモチーフにした変奏曲が次々に奏でられ、30のバリエーションが終わる頃、再び冒頭のアリアを奏で静かに曲が終わる。

 不眠症の伯爵のために作られたとされているが、めちゃくちゃ高度な技法が要求されるこの曲を伯爵が弾けたかどうかは定かでない。

 眠るための音楽というより、次から次へと展開される美しく楽しい曲が流れてくるので、聞いているだけでも元気がもらえワクワクしてくる。今、この瞬間を最高に楽しむための音楽として作曲されたのかもしれない。

 そんなゴルベルグ変奏曲も20世紀初頭までは演奏される機会はほとんど無く、埋もれた楽曲だったようだが、彗星のように現れたグレン・グールドによって一挙にメジャーとなった。

 レコードデビュー曲にこの曲を選んだグールドだったが、レコード会社の重役たちは当初は反対したようだった。

 ところが、いざリリースされるとたちまちベストセラーになり、衝撃的なデビューを果たすことにあった。

 そのあまりにも天才的な指使いで一気に疾走する曲を聞こうと、各地のコンサートホールは連日超満員だったそうな。

 心地よい調べと機体の揺れに身を任せていると、間延びしたチャイム音と共にシートベルト着用のランプが点灯する。

 着陸態勢に入りCAが慌ただしく見回りをする頃、曲は最後の第30変奏へ。

 それまでのバリエーションを締めくくる壮大な曲で変奏を締めくくり、再び冒頭のアリアが静かに流れてくる。

 先程までバタバタと忙しかったCAも着席し、最終着陸態勢の機体はエンジンのパワーを最低限まで絞り、客室内は静かに時が流れていく。

 眼下には、いつのまにか街の灯りが宝石箱を思わせるような煌めきを放ち、夢の国がスローモーションで過ぎていく。

 暗い水面に浮かぶタンカーに手が届きそうなほど高度が下がり、唐突に滑走路の端が現れたかと思ったら、ドスン!という合図で静寂に別れを告げる。

 滑走路の誘導灯が徐々に線から点に変わる頃、機体はゆっくりとゲートにたどり着き、やがて全てが停止する。

 機内での穏やかな時間から一変し、機体から降り足早に出口へと向かう。終電に間に合うかどうかの瀬戸際だ。アップテンポのハウスミュージックに切り替え、他の乗客を尻目に階段を三段飛ばしで駆け上り、駆け下りる。

 普段の散歩の成果が出たようで、扉が閉まる直前に電車に飛び乗ることができた。

 疲労困憊で自宅にたどり着くと、どんなに遅く帰宅しても熱烈歓迎してくれるワンコの笑顔で全てが報われる。

 猛暑のさなか、数十年ぶりにアクセル全開で駆け抜けた三ヶ月だった。

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