最後の出張 -寅さん生活の最終回-

出張・旅

二十年続いた出張旅生活がついに終りを迎えた。

多いときは年間300日近く各地を旅していたが、今後は日帰り案件がメインとなるため、生活のリズムが大きく変わりそうだ。

タッチ・アンド・ゴーの日々

30代の終わりから今の仕事を始め、40代は寅さんのような日々だった。

当時はプロジェクトが開始して間がなく、エリア制を取るほど人も体制も整っていなかったので、一人で全国を駆け巡っていた。

連絡体制も適当だったので、休日の朝にこれから札幌へ言ってくれないか?という連絡が入り、すぐさま飛行機に飛び乗り仕事をこなし、夜にはその足で沖縄へ飛んでくれ、というスケジュールが当たり前だった。

そこまで忙しくなると、家に戻るのも逆に大変だったりするので、結局、出張先から次の出張先へタッチ・アンド・ゴーで飛び回り、その間、数日空きが出るような時は道中で休日を取るほうが楽に過ごせた。

旅先の宿の手配は楽天トラベルを使っているが、当時は、宿に泊まるたびに日本地図の都道府県に色がついていくサービスがあった。コンプリートすると何か特典があるかも?と思い、楽しみにしていたが、結局、コンプリートしてもなんの特典もつかなかった。

がっかりしていると、その地図自体がいつのまにかシレッと消えてしまっていた。運営側としてはまさかコンプリートするようなユーザーが出るとは思わなかったのだろうか。

それでも楽天ポイント自体は百万ポイントを優に超えたのでそれなりに恩恵はあった。

コロナの影響

そんな寅さん生活も、50代に入ると担当エリア制が導入され、自分が担当する案件自体は減ってきたが、その分、休みが多く取れるようになったので、旅先でキャンプ生活を存分に楽しめた。

それまでは、ガチ登山がメインで、各地の山を日帰りや一泊程度でさくっと登り、その足で次の出張先に向かうようなリズムだったが、日程に余裕ができた頃から、のんびりとテント泊を楽しむ方向へシフトし、滞在中に晴れていれば登山を楽しむ、という方向にシフトしてきた。

そんな矢先、コロナ禍が世界中で吹き荒れ、日本も例外なく巻き込まれることになり、壊滅的に仕事が減ってしまった。それでも仕事が無くなることはなく、最大限に自粛の最中であっても各地を転々としていた。

新幹線の車両を丸々貸し切り状態で利用できたり、人が消えた羽田や那覇空港にいると、SF映画のワンシーンに紛れ込んだかのような錯覚に囚われた。旅先の宿も、普段では泊まらないような高級宿がバーゲンプライスで泊まることができた。

滅多に体験できない非日常な旅をそれなりに楽しんでいたら、コロナ禍がようやく明けてきた。

旅の景色が様変わりした

コロナ前であっても、海外からの旅行客はそれなりに増えていたが、コロナが終息すると、海外からの観光客がバッタの群れのように一気に押し寄せるようになった。

新幹線や飛行機の予約が一気に取れなくなり、三列シートの真ん中が取れれば良いほうで、飛行機などは空港でキャンセル待ちが当たり前になってしまった。

トラブルも頻発するようになり、秒単位の正確さを誇っていた新幹線でさえ数時間の遅延が度々発生し、大混雑のターミナルに居るだけでどっと疲れが出てしまう。それでも、知恵と工夫で移動手段は確保できたが、宿代が一気に跳ね上がってしまい出張する度に赤字になっていった。

各地の山やキャンプ場も人で溢れかえり、自然の中に身を置き、静かなひと時を楽しむという状況からは遠くかけ離れてしまった。

そしてなにより、電車内でもキャンプ場でも、どうでもいいことで小競り合いがあちこちで起こり、他者に対する寛容度がどんどん低下している。

正直、出張生活に苦痛を感じるようになっていた。この仕事を続けている一番の理由は、全国各地へ行くことができ、現地で山やキャンプを楽しめるからなのだが、コロナ禍が明けてからはどんどんストレスが溜まっていった。

そのような状況下で新年度に新しい仕事が舞い込んできた。

新しい会社は宿の手配を総務課で一括予約してくれる対応だったので、少しは楽になるかと思っていたが、結局、関わってはいけない会社であることが判明し、早々に手を引くこととなった。

そうこうしているうち、担当エリアが関東日帰り圏に鞍替えとなり、夏の終わりに最後の出張へ出向くことになった。

キャンセル待ちに賭ける

最後の出張は杜の都、仙台市内となった。

東北最大の街は以前から観光客で溢れており、市内に寝床を確保することが困難なエリアになっていた。

前回の出張は七夕シーズンと重なったこともあり、市内から一時間以上かかる湯治宿に泊まって仕事をすることになった。幸い仕事先が湯治宿から近かったので問題なく通うことができたが、今回は9月の1ヶ月間を残暑厳しい市内で仕事をすることになった。出張先で1時間以上をかけて仕事先へ向かうのは流石にリスクが有りすぎる。可能な限り徒歩圏に宿を取りたいところだが、果たして願いが叶うだろうか。

予約サイトはどの宿も当然のように満室。頻繁に予約画面チェックしてようやくキャンセルが出たとしても、以前なら5、6千円で泊まれた宿が数万円の室料となっている。時折、出張ホテルの空室が出ることもあるが、できれば避けたい評価のホテルだったりする。躊躇していると、数分と経たないうちに空室が埋まってしまう。おそらく、泊まったことのない他のビジネスマンがポチったのだろう。

最悪、レンタカーを借りて車中泊することも頭をよぎったが、それでも諦めずに、予約サイトの更新ボタンを連打していると、ようやく予算内で収まる宿がようやく見つかった。

日本を象徴する宿

以前なら、9月の仙台は夕方になると爽やかな風が吹いてくる杜の都だったが、最近は猛暑の影響で秋の爽やかさとは程遠い。しかも、なにかのイベントが開催されているわけでもないのに、街中は人でごったがえしていた。

蒸し暑い人混みにまじり、アーケードのなかに看板が掲げられている宿に汗だくでチェックイン。

世界中から観光客が押し寄せるようになり、最近はおもてなしを全面に打ち出し、それなりに工夫を凝らした宿が多くなってきたが、そんな宿とは一線を画し、昭和の時代から海外の旅人から絶賛されている宿がある。

今回予約できた宿はカプセルホテル。

蜂の巣のような寝床が薄い壁一枚で隔てられただけの究極のスペース。その寝床が壁の両側にびっしりと並ぶフロアが何階も重なっている。働きバチがまさしく寝るだけの目的で利用する空間だ。

ここまで泊まることを突き詰めた宿は、世界中で日本くらいだろう。昭和の時代は終電に乗り損ねた酔っ払いや、24時間戦うビジネスマン達で寝床は埋まっていたが、近年は余りにも珍しい宿泊所ということで、海外からの旅行客に大人気らしい。

当時はタクシーで帰るより安くつくというのが一番の理由だったが、そんなカプセルホテルも、最近は通常のビジネスホテルと変わらない値段になってきた。それでも駅の近くに寝床を確保できたので良しとしよう。

9月の一ヶ月間、今までならば、週末は現地でキャンプや登山を楽しんでいたが、今回は、お迎えしたばかりのワンコの世話を妻がワンオペでこなしているので、月曜の始発で仙台入りし、金曜の最終新幹線で自宅に帰るというスケジュールでカプセルに連泊し仕事をこなすことになった。

カプセルのデメリットとして、通路への出入り口がカーテンしかなく、隣との境は薄壁一枚しかないため、音が筒抜けということが挙げられる。

幸い、今回あてがわれたカプセルは、フロアの入口から一番奥まった片側が壁の空間だった。連泊ということで気を利かせてくれたのだろう。

もともと狭い寝床でも全く気にせずに眠れる性格なので、イビキ対策だけ施せば、繭玉に包まる感覚で快適に眠ることができる。

カプセルの内部はソロテントより少し広いくらいの空間で、貴重品をしまえる鍵付きロッカーやミニクローゼットが備え付けられていたり、あぐらをかいてパソコンを置けるテーブルを壁から引き出せたりと、今回のカプセルホテルは連泊でも問題なく過ごせる工夫が随所に施されている空間だった。

館内には大浴場やオープンテラスもあったりするので、自分の中ではテント泊の延長のような感覚で過ごすことができた。

寝床が極小でも、足を伸ばして入れる大きな湯船に浸かることができれば、とりあえず仕事の疲れは取れる。あとは寝床にゴロンと横になっていると、繭玉の中にいるような感覚になり、気がついたら朝になっている。

目覚めの珈琲は流石に寝床で珈琲を沸かすことはできないが、屋上にオープンテラスがあるので、秋晴れの空を見上げながら珈琲を沸かし朝食を楽しめた。

最後の晩餐

ご当地グルメを味わうというのは、旅の大きな楽しみだ。以前は全国各地のご当地グルメを堪能していたが、それも一区切りがついた。ここ数年は観光客向けにあつらえたメニューではなく、地元の家庭料理を出してくれるような定食屋さんを見つけるのが楽しみの一つになっていた。

今回は、仙台駅の近くで過ごしていたので、ほとんど観光客目当ての店しかない。そういう時は、地元で長年やっている町中華屋さんのカウンターに座り、目の前の炎を眺めて元気をいただいている。そんな町中華屋さんも主人の高齢化でどんどん暖簾が消えている。

入れ替わるように増えてきたのが、ガチ中華屋さんだ。中国や台湾から来た料理人が、食材も味付けも日本向けではなく、現地の味を出してくれるような店だ。

以前は東京近辺に数店舗しかなかったが、ここ数年の間に一気に各地に広がっていった。

仙台も、以前は見かけることはなかったが、仕事帰りに街中をフラフラ歩いてみると数軒見つけることができた。外観は怪しい雰囲気が漂っているが、そんなのは気にしない。店の近くに来た時点で鼻センサーが反応していたので、多分美味い店だろう。

さっそく入店し、日本語の綴が怪しいメニューを眺めてみると、どれも美味そうな写真が並んでいる。とりあえずお勧めのメニューと焼き餃子を注文。

ガチ中華の店は厨房が見えない作りが多いが、ここの店も厨房が奥にあり、鍋を煽る様を眺めることはできない。かすかに聞こえてくる音だけを聞きながら調理風景を想像していると、あっという間に運ばれてきた。

見た目からして既に美味そうに見えたが、食べてみると、やっぱり美味い!

町中華の定番調味料ではなく、現地で使っている調味料がいろいろはいっている。そのため味に深みがあり、どんどん箸が進む。

値段もリーズナブルでメニューも非常に多岐にわたる。長期出張族には大変ありがたい店だ。

波は去った

最後の出張は穴蔵のような寝床で数週間過ごすことになったが、予想以上に熟睡ができた。一人旅の選択肢としては十分にアリだ。出張で最も大切なことは、現地で温かい食事を摂れ、質の良い睡眠を確保することだ。そうすれば、慣れない土地であっても仕事をキチンとこなすことができる。

こうして各地を飛び回り、様々な宿で羽を休め、あらゆる料理を楽しんできた出張旅もようやく終わりを迎えることになった。振り返ってみると、記憶に残る宿、リピートしたくなるような宿とは、高級か否かではなく、熟睡できたかどうかが最も大切な気がする。現地での食事も豪華なメニューではなく、当たり前の食材でも温もりの感じる料理が一番元気を貰えるようだ。

楽しかった出張旅の日々だったが、様々なトラブルや嫌なことに遭遇したこともたくさんあった。今となっては良き思い出だ。今後は年に一度あるかないかになりそうな出張だが、その時は粛々とこなしていくことだろう。

この仕事に携わり全国各地を波乗りのように楽しんできたが、これからは新たな波を期待するというより、ステージ自体が変わっていく事になりそうだ。いずれにしても、未来は【今】の積み重ね。【今】を楽しく過ごしていれば未来もきっと楽しいはず。日々、楽しく過ごせる工夫をこれからも続けていこう。

良いお年を、、、

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