二本のローソク -後編-

candles ウェルネス

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まな板の鯉

体を揺さぶられる感覚で眠い目をこすると昨夜の看護師さんがいた。
朝を迎えたようだ。
隣のカーテンは閉じられ、ゆっくりとしたリズム音だけが聞こえた。

手渡されたフンドシに履き替え背中の空いたガウンに着替え終わると、これからの予定をテキパキと説明してくれた。
ストレッチャーに横たわったあとは流れ作業のように時が進んでいく。

オペ室に向かう廊下で不安げな視線の母親に見送られながらオペ室の扉をくぐると、そこは真っ白な世界だった。
手術台に直行かと思っていたが、まずは前室で問診やら測定やらを行い、
その後しばらく放置された。

無機質な前室で放置されていると少しは不安な気分になるかと思ったが、寝不足で眠かったのと、これから行われることへの好奇心のほうが勝っていた。
全身麻酔で頭蓋骨を開き、血の塊を取り出すなんて、
まるでブラックジャックの漫画じゃないか。

いよいよ手術室の扉が開きストレッチャーから手術台に載せられた途端、それまで睡眠不足でぼんやりしていたが、一気に目が覚めた。
手術台は患者が寛ぐために作られているのではなく、
医者が作業をしやすくするために作られているのだと実感する。

周りで準備しているスタッフ達が入れ替わり様子を見に来るが、その瞳に感情はなく、マスク越しの視線は冷徹そのものだ。
見つめられているという感覚は全く伝わってこない。
人から単なる物体へ変わってしまったようだ。
まな板の鯉と仲良くなれる気がした。

不意に目の前の手術灯が灯った。
反射的に手で顔を隠そうとしたが、両腕が固定されているので耐えるしかなかった。
いよいよ全身麻酔の注射を刺される時がきたが、そのあまりの太さにビビった。針というよりパイプだ。
背中に刺された腰椎穿刺の針とどっちが太いか想像したが、腰椎穿刺は見えないことへの恐怖心で痛みどころではなかったが、麻酔針は刺されるところをジックリ観察することができた。
結論、麻酔針のほうが遥かに痛い。

今の気分を問われたので、素直に痛かったですと答えると、マスク越しの瞳が一瞬緩んだが、すぐに無機質な眼差しに戻った。

「声を出してOからできるだけたくさん数を数えてください」

とマスク越しに指示された。
その声色は無機質な視線とは異なり、意外なほど穏やかで優しかった。
こんなに安心できる声で言われたら期待に応えなくてはという気になってくる。

100まで数えてやろうと思ったが、先生も忙しいことだろうし、30くらいで妥協してあげよう。

ゆっくりと小声でカウントを始める。

「0、1、2、、、3、、、、、、」

燃え尽きた炎

消防員が大火を告げる鐘をガンガンと叩き鳴らしている。
目の前で大きな炎が燃え盛り四方を取り囲まれてしまった。
なぜか熱さは感じなかったが、鐘の音と同期して激しい頭痛がした。
あまりの激痛で早く消火してくれないかと願っていたら、どこからか手が伸びてきて体を掴み揺らし始める。
頭痛が一層酷くなった。

「聞こえますか?起きてくださ~い!」

猛烈な頭痛に耐えながら薄っすらと目を開けるが視点が定まらない。
ボンヤリとしたなか、周りを人影が取り囲んでおり正面を見据えると眩しかった手術灯が消えていた。

手術は終了したようだ。

数人がかりでストレッチャーに移され廊下に出ると、真っ白な天上界から雑多な人間界に戻ったような気がした。
母親が駆け寄ってくると泣き笑いの顔でしきりに頷いている。

手術は成功したようだ。

無事に部屋に戻ってこれたが、それにしてもものすごい痛みだ。
頭を強打したときの衝撃痛ではなく、傷口をガンガン叩かれる種類の痛みだ。その痛みは麻酔が切れるにしたがって増々激しくなり、同時に高熱も出くるようになった。
夜半頃になるとすっかり麻酔が抜けたようで、激痛と高熱で夜通し唸りながら目覚めたり意識が遠のいたりを行ったり来たりしていた。

このあたりの記憶はウンウン唸っている感覚しか残ってない。

明け方近くにふと目が覚めたが、何かが違うことに気づいた。
室内はシンと静まり返り、狭かったはずの部屋が妙に広く感じる。
閉ざされていた隣のカーテンが開かれていた。

カーテンの向こう側には誰もいなかった。

側にいた母親に目で問うと、静かに首を横に振った。
自分が俎上の鯉になっていたとき、亡くなったそうだ。

 

もう一つのローソク

それから三日間はベッド上で寝たきりの状態が続き、痛みのピークは幾分和らいだ。すると次に襲ってきたのは猛烈な空腹感だった。
点滴で栄養補給はしているが、首から上はバスケットボールの大きさに膨らんだジャガイモのように腫れ上がり、右顎の筋肉は手術の際に切られてしまったので顎を動かすことができない。
限りなく水のようなサラサラのお粥を流し込むだけでは空腹感を満たすことなどとうてい不可能だ。

四日目の朝を迎える頃はベッド上で起き上がれるまで回復したが、そうなると無性に動きたくなってくる。尿意を催したことを看護師さんに告げると、

「そろそろ歩行訓練だね。トイレまで一緒に行ってみよっか?」

と手を差し伸べてくる。

(歩行訓練?年寄りのリハビリじゃあるまいし、一人で行けるよ)

一人で立てるもん!
差し伸べられた手を振りほどき、ベッドから起き上がろうと両足で立ち上がった瞬間、足元から倒れ込んでしまった。
意思はハッキリと立ち上がれ!という動作を指示していた。
しかし、全身の、特に下半身の筋肉に力が入らないのだ。
もし看護師さんが側で支えてくれなかったら、間違いなく転倒して大変なことになっていたと思う。
それでも、当時、既に180センチあった巨体を小柄な看護師さんが支えることになったので、看護師さんもろとも倒れ込みそうになるところを必死に支えてもらっていた状態だ。

トイレまでの間、看護師さんの肩にもたれかかりながらヨロヨロと牛歩戦術さながらの歩幅で歩いていき、用を足す時も後ろで抱きかかえられた状態で支えてもらっていた。
たった数日で自力で立つこともできないくらい衰弱してしまった自分の体に驚愕するとともに、巨体を一生懸命支えてくれる看護師さんへの感謝の気持ち(ちょっと恥ずかしかったのもある)でいっぱいだった。

ベッドに戻り改めて両足を見つめたが、確かに、入院前に比べ腿が細くなっている。
人間の体は動かないでいると、あっという間に退化していくというのを実感した。

その日の夕方、ようやく大部屋に移ることができた。
修羅場の部屋では一言も話せなかったが、まわりの患者さん達と話せることが嬉しかった。
皆さん早速、怪我自慢、病気自慢が始まるのだが、脳外科病棟の大部屋ということで、首から上が特殊な状態の患者さんたちばかりだった。

隣のベッドのオジサンが笑いながらニット帽をとると、半分ほど頭蓋骨が凹んだ状態のスキンヘッドが表れた。

仮面ライダー キカイダーの姿がそこにあった。

「交通事故で頭の骨がグシャグシャになっちゃってさー 頭蓋骨半分ほど取っちゃったんだよね。で来週、代わりのプレートを埋め込むんだけど、それまで暇で暇で(笑)」

話を聞くほどに物凄い状態なのが判明するのだが、屈託なく笑いながらしゃべる瞳は確かな光を放ち、元気が満ち溢れていた。

その喋る姿をみていると、仮面ライダーキカイダーが励ましてくれているような気がした。
処置室で隣に寝かされていた患者さんとは違い、人は心が病んでいない限り頑張って生きようとするのだと思った。

なにかお礼を言おうと思ったが、似ていますねとは言えなかった。
かわりに早く回復してやるぞ!という気持ちが猛然と湧いて出てきた。

炎を燃やすには

その後の入院生活は一気にBOOTCAMPに様変わりした。

まずは食べること
術後の体力回復、傷口の治癒に栄養は欠かせない。
点滴だけでも栄養補給はできるが食べるに越したことはない。
幸い内臓疾患ではないので、食べられるなら何を食べてもいいとのこと。
病院食だけでは成長期の空腹を満たすことはできないので、何でもいいから食べるものを買ってきてくれと母親に頼んだ。

顎はまだ動かせなかったが両手でこじ開け、痛みに耐えながら咀嚼を繰り返した。
初めは痛みで泣きながら食事口にしていたが、満腹になるとその涙はすぐに喜びの涙へと変わっていった。
痛みで動かなかった顎も自力で動かせるようになり、顔の腫れもみるみる引いてきた。
口から食べることの大切さを学ぶことができた。

次は動くこと
たった3日寝込むだけで人の体はここまで衰弱するのだということを、更に動かそうという意志はあるのに動かせないというもどかしさを体験することができた。
自分の体は自分の意志でコントロールしなければ意味がない。

トイレ往復の自力歩行をクリアし、病棟の廊下を自由に歩けるようになった後は縦方向にステップアップ。エレベーターは使わず階段昇降をひたすら繰り返しながら売店へ向かい、ときおり脱走しては近所の中華屋さんで定食を食べる日々を過ごしていった。

そして3つ目は考えること
1週間も経つと驚くような回復力を見せ、ガーゼ頭以外は普通の10代の姿に戻っていた。
そうすると退屈な入院生活となり、考える時間が増すことになる。

もし初めに入院した怪しい病院にそのまま入院していたら?
自分の直感に従うことの大切さを学んだ。

カーテン越しに消えゆく命が教えてくれたことは?
人が自ら命を断つことの理由は本人以外知る由もないが、
人の寿命は揺らめくローソクの炎のようなもので、長さや太さは人それぞれで予め決まっているのだと思った。

人が本来持っている、生きようとする意思がある限り、炎が消えないように内なる力で炎を守ることができるが、体力が弱っていたり、気力が落ちているとその力も衰え、更には、自分で自分の炎を消してしまうこともできてしまうのだ。
人のローソクはそれくらい力強く、儚いのだと実感した。

幸い自分のローソクは一瞬消えかけたが、再び力強く燃え始めている。
この炎をいつまでも大切にし、自分で吹き消すようなことは絶対しまいと誓った。

この先何が起ころうとも炎を絶やさず、
最後のロウが自然に溶け、ふと暗闇に包まれる。

それが自分に与えられた炎なのだ。

きっと模範的な入院患者だったに違いない。

結果はすぐに形に現れた。体力はみるみる回復し術後の経過もすこぶる良好だった。
当初1ヶ月と言われていた入院期間だったが、驚異的なスピードで回復し、2週間で退院することができた。

学校の廊下で頭を強打した時は梅雨の陰鬱とした雲が空を覆っていたが、
病院の正面玄関を出ると真夏の青空が頭上に広がっていた。

炎を絶やさぬよう

40年の月日が流れた。
医者になった友人曰く、当時の状況を考えたら半身麻痺が残る可能性もあったそうな。
幸い、麻痺や後遺症の類は一切ないが、もしかすると頭のネジは数本緩んでいるかもしれない。

この出来事以降もいろんなこと見舞われることになるのだが、そのたびに思うのは、

自分の力で生きているという実感ではなく、
周りの人達に生かされているという感謝の気持だ。

2020年末
本来ならオリンピックの特集で賑わうはずだったメディアからは連日コロナ重症患者が増え続けているとの報道が流れ、最前線の医療スタッフたちが疲弊し、崩壊寸前であるとの警告を出し続けている。

必死に歯を食いしばり命の炎を消すまいと奮闘している現場の人たちには頭が下がる思いで一杯だ。

一部の心無い人達は感染の不安からか、医療従事者、その家族や子供を蔑んでいるらしい。

それ、とっても恥ずかしいですよ!

人は不安が高まると本性が出るというが、そういう時こそ目先の不安に押しつぶされるのではなく、自分と向き合い想像力を働かせてほしい。

もし、貴方が、貴方の大切な人が、貴方の子供が病に倒れたとき、
受け入れてくれる病院がなかったら?
支えてくれる医療従事者がいなかったら?

彼等、彼女等が歯を食いしばって頑張ってくれているからこそ、
他人事のように御託を並べていられるのだと肝に命じてほしい。

直接励ますことができなくとも、
もし自分の周りに医療従事者の子供がいたとしたら、
不眠不休で命の炎を絶やさぬよう頑張っている親を讃え、
寂しい思いをしているのなら抱きしめ、
お腹を空かしているなら一緒にご飯を食べ、
元気づけてあげよう。

そういう気持ちを周りの人達が持ち続けることで、
その思いはきっと最前線の人達に伝わり、
尽きかけた炎もきっと力強く再燃すると思う。

助かる命も助けられなくなるような状態には決してなってほしくない。

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