シングルマザーの老後 -執着するほど離れていく-

 ワンコと朝の散歩をしていると、発信元不明の電話がかかってきた。

 最近は、詐欺電話が頻繁にかかってくるようになったので、スマホは留守番モードにして見知らぬ番号は出ないようにしている。

 詐欺電話なら無言で切れるが、自宅に戻りスマホを確認すると今回はメッセージが入っていた。

 見知らぬ病院からで、母が未明に救急搬送されたので至急連絡が欲しいという内容だった。

一生懸命の代償

 いつものことなので淡々と身支度を整え、その日の予定はキャンセルし埼玉県の病院に向かうことにした。

 処置室に入ると、母は何事もなかったような表情で座っており、先生の診断でも特に問題はないとのこと。

 いつもの光景だ。

 今年で93歳になる母は、車で1時間ほどのところで一人暮らしをしている。気がつけば30年以上離れて暮らしている。

 母は自分に会いたくなると、周りの迷惑などお構いなしに好き勝手に振る舞う。救急車で運ばれると、必ず自分が引き取りに来ることがわかっているのだ。

 淡々と会計処理を済まし、母を自宅に送り届け、うんざりした気分で家をあとにした。

 自分が1歳のとき、父親が蒸発した。以降、母と二人暮らしで各地を転々としながら育ってきた。

 朝から晩まで一日中働き詰めの母は、頻繁に過労で倒れ入院していた。その度に自分は親戚や知人の家に預けられて育った。

 他人の家に預けられるのは嫌だったので、物心つく頃には病室で一緒に寝泊まりし、食事の介助や身の回りの世話をしていた。

 そんな幼少期を過ごしてきたので、自分は一生、母の側でケアしていくのだろうと思っていた。

 昭和の時代、シングルマザーはまだ珍しく、あそこの家庭は私生児だから、などと陰口を叩く親御さんや、その親の影響で陰湿な嫌がらせをする子供もいた。

 母は、片親だからとバカにされるのが何よりも嫌だったようで、とても厳しく自分を躾けたかったようだ。

 言うことを聞かないと、真冬でも裸で夜通し外に放置された。

 買い物の釣り銭をうっかりドブに落としてしまっても、素手でドブさらいをして拾ってくるまでは家に入れてもらえなかった。

 叱られて正座中に、包丁を眼の前の畳に突き立てられて、お前を殺して私も死ぬと頻繁に責め立てられた。

 説教がエスカレートして、火の点いた蚊取り線香を手の甲に押し付けられ、一面ケロイドになったりもした。

 母は、感情が昂ぶると自分を抑えることができなくなるのだ。

 令和の時代なら間違いなくモンスターマザーとして虐待事案確定だが、昭和の時代、必死に生きることしか術がなかった母にとっては、それが愛情表現だった。

 物心付く前の自分にとっては母親との世界が全てだったので、それが当たり前だと思っていた。

違和感

 そんな幼少期を過ごしてきたが、成長するにつれ外の世界が少しずつ見えてくると、うちの母は他の家庭とどこか違うのでは?という違和感が芽生え始めた。

 母は必死に生きるあまり、自分の思い込みだけが全てとなり、自分の考えが通らないとキレまくり、どんどん周りが見えなくなっていった。

 ご近所さんや職員室でも突然キレることが日常茶飯事で、その度に引越や転校を繰り返す羽目になった。

 そんな母親を子供ながらになだめすかしていると、母は自分に依存するようになってきた。物事の判断を自分で下すこと無く息子に求めるようになった。

 だからといって自分のアドバイスや約束事を聞き入れるわけではなく、気に入らないことは平気で反故にしたり嘘を付いたりするので、母子間でぶつかる機会がどんどん増えていった。

 どんなに時間をかけて諭しても聞く耳を持たず、自分の都合のいいように物事を解釈し好き勝手に振る舞う。その様子は、幼稚園生のお人形さん遊びと同じだった。

 周りに迷惑をかけている自覚が無いため、一人、二人と人が離れ、気がつくと母の周りには誰もいなくなってしまった。

 誰も信用せず、ただ息子の側にいたいという執着心だけが生きる目的となった。

 そんな母であっても、いや、そんな母だからこそ、自分がサポートしなければという気持ちで接していたが、大学を卒業する頃には親子関係は完全に壊れていた。

 そしてついに、決定的な出来事が発生した。

ストレスが頂点に達するとき

 20代後半、大切な親友を失い、夢も敗れ傷心のどん底にいた頃、体を壊してしまった。

 ある晩、突然の腹痛に襲われた。原因不明の激痛で一晩中転げ回っていたが、明け方に病院に担がれると胆石と診断された。

 手術で胆嚢ごと摘出する方向で話し合いが進められていたが、痛みが出ている間は手術を行うことはできないため、痛みが収まるまでモルヒネを打ち絶対安静の状態だった。

 当時、胆石の手術は開腹術が一般的で、お腹を大きく開くため一ヶ月くらい入院するのが一般的だった。

 他の方法が無いものかと自分であれこれ調べていると、腹腔鏡術という術式だと小さな穴を開けるだけで済むので、1週間くらいで退院できることを発見した。

 搬送先の病院は腹腔鏡の設備は無かったので、とりあえず痛みが収まるまで入院し、改めて腹腔鏡術で摘出してもらえる病院を探し出し、転院することにした。

 転院先で腹腔鏡術の日取りを調整するが、1か月先まで予約が埋まっているということだった。

 それまでの間は家で様子見となったが、できるだけ痛みが出ないようにするには絶食が一番ということだったので、水以外は殆ど口にしない日々を過ごし手術に備えていた。

 とはいえ、空腹に我慢しきれず、一切れのパンを口にしたことで夜中に痛みが発生し救急車で担がれ、1週間絶対安静になってしまったり、結局、当初の手術予定日を大幅に過ぎてしまうことになった。

 そんな一進一退の日々を過ごし、病院で痛み止めを打ち絶対安静で過ごしていたある日、母が病室に乗り込んできた。

 いつまでも手術できないことに痺れを切らしたらしく、すぐに手術してくれる病院を自分が手配したからそっちに転院しろと、ベッド脇でまくし立てている。

 痛み止めで意識が朦朧とする中、今は絶対安静で退院できないことを切々と訴えると、気が短い母はナースステーションに乗り込み、病棟師長相手にすぐに退院させろと大声で怒鳴り散らす声がベッドまで響いてきた。

 絶対安静なので動かすことはできません!と師長は毅然と対応していたが、結局、師長が折れることになったようだ。

 病室に戻ってくると、新しい病院ですぐに手術できるように手配したから、明日の朝一に退院して新しい病院に来い!と一言だけ告げ帰っていった。

 毎度この調子で、自分のやりたいように物事を進めてしまう。相手の状況や立場などお構いなしだ。

 翌日、迷惑をかけた師長に頭を下げ、着の身着のまま入院道具を紙袋に詰め、フラフラの状態で病院をあとにした。

 夏の暑さと目眩で倒れそうになるのを必死でこらえ、電車を乗り継ぎ新しい病院に向かった。

 受付で来院目的を告げると、窓口のスタッフは怪訝な表情で奥に引っ込んでいった。

 しばらくすると外来師長がやってきて、転院や手術の話は何も聞いておらず、紹介状や検査データなども引き継いでないため、初診として外来で一から検査と手続きをやり直してくださいと告げられた。

 母が言ったことは全て嘘だった。

 外来のソファーでブチギレそうになる感情を必死で抑え順番待ちをしていると、母がやってきた。

 状況を説明すると、いつものように悪びれる素振りもなく、外来師長に怒鳴り込んでいった。

 それでも前の病院から検査データ等を引き継いでないため、結局、ゼロから手続きをやり直すことになった。

 そんな気まずい状況であっても

「家から通いやすいからいいじゃない」

 と、意味不明なことを叫び、そっぽを向いている。

 感情が爆発した。それまでの人生で最大級の負の感情だった。ただ、意識が朦朧としていたので声が出なかった。

 ありったけの気力を振り絞り一言だけ告げた。

 「そばに来るな!!!」

 限界だった。これ以上この人といると殺されると思った。もし、元気な時だったらカッとなって殺めていたかもしれない。

 鬼気迫る表情の息子を前にし、母は、プイッとそっぽを向いて帰っていった。

 母の精神年齢は幼稚園レベルで止まっている。

決断

 結局、痛みが収まるまで改めて入院することになり、痛みが収まってから全ての検査をやり直し、数日後に腹腔鏡術で胆嚢を全摘する手術を行った。

 手術自体は至って順調に事が運んだ。午前中に手術を終え、午後には廊下を歩けるくらい負担の少ない術式だ。

 欧米では日帰りで手術を行うようだが、日本では腹腔鏡術が普及しはじめということもあり、1週間ほど入院するのが当時は一般的だった。

 次の日からは特にすることもなくベッドでボンヤリしていると、執刀医が回診にやってきて小さなガラス瓶をくれた。

 中には天津甘栗のような茶色い石が五個入っていた。瓶を振るとカラカラと乾いた音がした。

 これでペンダントなどを作る人もいるみたいだよと、笑いながら説明し去っていった。

 その後、看護師が点滴を変えながら話しかけてくれた。

 「20代で胆石になるなんて、よっぽどストレスが溜まっていたのね」

 「・・・」

 通常、胆石は中年以降に痛みが出る場合がほとんどで、それまでの溜まりに溜まったストレスが原因で石ができたりするそうだ。なので、20代で発症するのは珍しいとのことだった。

 モンスターマザーの評判は院内に知れ渡っていたので、事情を察した看護師が慰めてくれたのだろう。

 本来、液体の胆汁がここまで大きな硬い石になるまで、どれくらいのエネルギーが必要だったのだろう。

 激しい負の感情を堪えるようなことは、母との確執以外には無かった。

 負の感情を爆発させずにグッと堪えていると、そのエネルギーは内側に向かい、体に様々な症状として出るようだ。

 自分の場合は、怒りのエネルギーを我慢することで胆嚢がキュッと収縮し、胆汁が濃縮され石になるまで固くなってしまったのだろう。

 どんなに理不尽だとしても、母親だからという理由で無意識のうちに感情を抑え込む習慣がついていたが、心が壊れる前に体が耐えられなくなって悲鳴をあげたのだろう。

 そんな事を考えながらぼんやりとベッドで過ごしていると、ある日、バンドの友人が見舞いに来てくれた。

 入院したことは特に知らせてなかったが、どこからか聞きつけて見舞いに来てくれたことがとても嬉しかった。それでも、今回の一件は心底疲れ果てていたので、ほんの少ししか笑えなかった。

 当時、バンドの練習中は楽しく振る舞っていたので、全く違う自分の精神状態を見て訝しがったかもしれない。

 母との確執は誰にも相談したことがなかった。幼少期から、親子間の問題を人に話すのは恥だと、親戚達に言いくるめられてきたからだ。

 見舞いに来てくれた友人は、そんな自分の言い出せない状況を察してくれて、何も聞かず、オープンカーで来たからと、気晴らしにドライブに連れ出してくれた。その優しさに救われた。

 病院を抜け出し近くの繁華街をオープンカーで流していると、風が心地よく頬を撫でていく。見上げると空が青かった。久しぶりに無心になっていた。

 ボンヤリと景色を眺めていると、過ぎゆく人波は家族連れも多く、楽しそうな表情を浮かべている。

 自分は母と笑って過ごした時間はどれくらいあっただろうか。

 看護師が最後に言った言葉が頭の中を巡っていた。

 「胆石になった意味を考える良い機会かもね」

 友人と別れベッドに戻ると、一つの結論が浮かんだ。

 【母から離れよう】

 限界だった。これ以上、母の側にいると自分が壊れてしまう。

 退院後、家に戻ると直ちに荷物をまとめ、母に出ていくとこを告げた。

 半狂乱で叫んでいる母の声が胸を引き裂いたが、心を鬼にした。

 扇風機と枕、そして数日間の着替えだけをカバンに詰め、あとは全て処分していいと告げ、5LDKの器だけが大きいだけの虚ろな家をあとにした。

変わらない心

 その後は妻と暮らすようになり今日に至っている。

 母と距離を置くことで、母自身に考えてほしかった。どうしてこうなってしまったのかと。

 そんな思いも母に伝わることはなく、気がつけば母と暮らした年月より妻との時間のほうが遥かに多くなったが、妻のことは未だに嫁として認めていない。

 正月だけは妻と新年の挨拶に母宅に行くが、未だに私の大切なお人形を盗んだ女と言う目で睨んでくる。

 相変わらず、わざと倒れたりして病院に担がれ、自分だけ一人で迎えに来るように仕向けることもしばしばだ。

 胆石事件以来、母に対する感情は無くしていたので、淡々と事務処理だけ済まし母宅へ送り届けることにしている。

 そんな母に対しては、今となっては哀れみの気持ちしか無い。

 今回のような出来事が起こると、とてつもない疲労感に襲われ、しばらくの間は心がネガティブな状態が続いてしまう。

 そんな状況から脱するべく、今までは親子関係をなんとか良くしようと頑張ってきたが、本人に変わる気がない以上、息子であっても変えることなどできないのだと身に沁みて思った。

 母の人生は母にしか歩めない。

 自分は自分の人生を歩いていく。

 過去を背負うためではなく、未来に目を向けるため。

前を向いて歩く

 このブログは日々をポジティブに過ごす事を目標に掲げているので、ネガティブなことは書かないようにしている。

 言葉には言霊が宿ると思っているので、特にいつまでも残る文字はできるだけポジティブな内容にしようと思っている。なので、今回のような事を書こうかどうか迷った。

 それでも書こうと思ったのは、親子関係に悩んでいる人が、たまたまこの記事にたどり着き、ほんの少しでもヒントになればという思いで綴ってみた。

 修復不可能な状態に陥ってしまった親子関係で、子供が取れる最善の策として、自分は20代の頃に親と距離を置くという結論を出した。

 本当にそれで良かったのかと今でも自問自答する日々だが、少なくとも距離を取ったことで、自分の心が壊れることは避けることができ、妻に被害が及ぶことも防げた。

 もし、親子関係に疲れてしまったら、迷わず距離を取ることをおすすめする。

 一方、子育てをしているシングルマザーに対しては、ほんの少しだけ肩の力を抜いて生きてみては?とアドバイスさせてほしい。

 子供にとっては、頑張りすぎる母親の姿を見るのは辛いのだ。

 子育てが大変なのは子供にも十分過ぎるほどに伝わっている。それでも倒れるまで頑張ってしまうと、どんどん視野が狭くなり周りが見えなくなり盲目的になってしまう。

 そうなると、母が大変な思いをしているのは自分のせいだと、子供は自分を責めてしまう。

 そんな悲しい関係にならないためにも、たまには距離を置き、たまには生きることの力を抜いてほしい。

 距離を置くことで冷静になり、いつの日か解りあえる日が来るかもしれない。力を抜くことでほんの少しだけ笑顔が出てくるかもしれない。

 残された時間は少ないので期待はしていないが、諦めてもいない。

 自分の選んだ道をあるがままに受け入れていこう。

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